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前田利家の妻・まつ(芳春院)とは?加賀百万石を守った賢妻の生涯

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2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、主人公たちと最も仲の良い「お隣さん夫婦」として描かれるのが、前田利家と、その妻・まつ(芳春院)です。

戦国時代の女性といえば、政略結婚で不幸になるイメージがあるかもしれません。あるいは、歴史の影に隠れて目立たない存在だと思っていませんか? しかし、まつは違います。 彼女は夫・利家を励まし(時には激しく叱り飛ばし)、11人もの子供を育て上げ、最後は自分の身を敵地に投げ出して「加賀百万石」という巨大な家を守り抜いた、まさに戦国最強のスーパーウーマンなのです。

「ねね(北政所)と親友だったって本当?」 「利家に『金を持って戦え』と啖呵を切ったってマジ?」

この記事では、戦国最強の賢妻とも呼ばれるまつの生涯と、利家やねねとの心温まる(そしてちょっと怖い?)逸話について、その背景や心理描写を交えながら、高校生にも分かりやすく徹底解説します。

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目次

まつ(芳春院)とは何者か?

まつは、1547年、尾張国(愛知県)で生まれました。 実は彼女、前田利家の従兄弟(いとこ)にあたります。母が再婚したため、まつは利家の実家である前田家に引き取られて育ちました。 そして1558年、わずか12歳という若さで利家(当時21歳)に嫁ぎました。幼い頃から利家のことを「あにさま」と呼んで慕っていたとも言われています。

子宝に恵まれた「加賀の母」

まつのすごいところは、なんといってもその生命力と、一族を繁栄させる力です。 彼女は利家との間に、なんと2男9女、合計11人もの子供を産みました。 戦国時代、子供が多いことは家の繁栄に直結します。 長男・利長は跡継ぎとなり、娘たちは豊臣秀吉の養女になったり、細川家(ガラシャの夫・忠興の息子)や宇喜多家などの有力大名家へと嫁いだりしました。 彼女が産んだ子供たちは、前田家のネットワークを日本中に広げる「外交カード」となり、前田家が大大名として生き残るための最強の武器となったのです。

まつ(芳春院)の逸話:前田利家を叱咤激励!「金貨の袋」の逸話

まつは、ただ大人しく夫に従うだけの妻ではありませんでした。 夫が弱気になった時、強烈な一言でお尻を叩く、肝の据わった女性でした。その代表的なエピソードが「金貨の袋」です。

「お金が欲しいなら、槍で稼いでらっしゃい!」

若い頃、利家は信長の茶坊主を斬るという事件を起こし、激怒した信長によって織田家をクビ(放逐)になり、浪人(無職)生活を送っていた時期がありました。 給料がなくなり、日々の食事にも困るような貧乏生活の中、利家は将来を不安に思い、少しでもお金を節約しようと、笄(こうがい=髪かき)を売って小銭を貯めるなど、みみっちい行動をとっていました。

それを見たまつは、「かつての『槍の又左』と呼ばれた覇気はどうしたのですか!」と呆れ果てます。 ある日、彼女はへそくりとして貯めていた金貨の袋を利家の目の前に叩きつけ、こう言ったと伝えられています。

「あなたは武士でしょう! お金がそんなに大事なら、この金貨を持って戦場に行きなさい。そして、槍で敵を突く代わりに、この金貨の袋で敵の頭を叩いてきなさい!」

「うじうじしてないで、男なら武功を立てて稼いでこい。金ならここにある!」という強烈な激励です。 これに奮起した利家は、信長の許しがないまま勝手に桶狭間の戦いなどに参加して手柄を立て、その執念でついに織田家への復帰を果たしました。 まつのこの一喝がなければ、のちの大大名・前田利家は誕生せず、歴史の闇に消えていたかもしれません。

まつ(芳春院)は豊臣秀吉の妻・ねねと親友関係だった

まつを語る上で欠かせないのが、豊臣秀吉の妻・**ねね(北政所)**との関係です。 二人は、夫同士が信長家臣時代に同じ長屋に住んでいた頃からの、筋金入りの親友でした。

夫婦喧嘩の仲裁役と精神的支柱

身分が低かった秀吉夫婦と、そこそこ名家だった前田夫婦。 立場は違いましたが、二人は実の姉妹のように仲が良く、お互いの家を行き来しては、夫の愚痴を言い合ったり、貧しい家計を助け合ったりしていました。 子供がいなかったねねに対し、子だくさんのまつは、自分の娘(豪姫)を秀吉夫婦の養女に出すなどして、豊臣家の跡継ぎ問題にも協力しました。

秀吉とねねが夫婦喧嘩をした時、まつが仲裁に入って収めたこともあります。 また、二人の友情は夫たちが天下人や大大名に出世してからも変わらず、豊臣家と前田家の強い絆の土台となりました。 天下人の妻として孤独を感じるねねにとって、昔と変わらず「ねねちゃん、まつちゃん」と呼び合える彼女の存在は、何よりの心の支えだったのでしょう。

まつ(芳春院)最大の功績:自ら人質となり前田家を守る

まつの人生最大のハイライトであり、彼女の凄みが発揮されたのは、夫・利家が亡くなった後に訪れました。

1599年に利家が病死すると、天下を狙う徳川家康は、目の上のたんこぶだった前田家を潰そうと画策します。「前田利長(まつの息子)に謀反(むほん)の疑いがある」と難癖をつけ、加賀征伐の軍を起こそうとしたのです。 前田家は絶体絶命のピンチに陥ります。戦うべきか、謝るべきか。家中は大混乱になりました。

60歳を超えて江戸への人質志願

この時、まつ(当時は出家して芳春院)は驚くべき行動に出ます。 「私が人質として江戸へ行きます。そうすれば、前田家に謀反の気がないと証明できるでしょう」

彼女は、息子・利長と、夫が遺した前田家を守るため、住み慣れた金沢を離れ、敵地である江戸へ下ることを決意したのです。当時、彼女はすでに60歳を超えていました。 この母の命がけの決断により、さすがの家康も前田家を攻める口実を失いました。 結果、前田家は取り潰しを免れ、江戸時代を通じて「加賀百万石」として繁栄することになったのです。

まつはその後、14年以上も江戸で人質生活を送り、関ヶ原の戦いや大坂の陣といった激動の時代を江戸から見守り続けました。そして金沢に戻ったのは最晩年のことでした。 彼女は文字通り、自分の余生すべてを捧げて、家を守り抜いたのです。

まとめ:まつは「強さ」と「愛」の象徴

いかがでしたでしょうか。 前田利家の妻・まつ(芳春院)についてまとめます。

  1. 賢妻: 貧乏時代、落ち込む夫を叱咤激励し、出世のきっかけを作った勝利の女神。
  2. 友情: 秀吉の妻・ねねとは生涯の親友であり、その友情が豊臣・前田の絆を深めた。
  3. 犠牲と覚悟: 夫の死後、自ら人質となって徳川家康の圧力から前田家を守り抜いた「加賀の母」。

彼女は、戦国乱世を生き抜くための「強さ」と、家族を守るための深い「愛」を兼ね備えた女性でした。 大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、ねねと共に明るく夫たちを支え、時には尻に敷き、そして最後は母として家を守る、エネルギッシュで愛情深い・まつの姿が見られることでしょう。

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