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森蘭丸の歴史と生涯。信長に愛された美少年・成利の才能と本能寺の変

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戦国時代のドラマやゲーム、アニメなどで、魔王・織田信長の隣に必ずと言っていいほど控えている美少年をご存知でしょうか? そう、森蘭丸(もり らんまる)です。

「信長のお気に入りだったんでしょ? いわゆる小姓(こしょう)ってやつ?」 「イケメンだけど、実力はどうだったの? ただの付き人?」

そんな「アイドル的なイメージ」を持たれがちですが、実は彼はただの付き人や世話係ではありません。 10代にして、織田家中の誰もが気を使うような重要な役職を任され、高い知能と実務能力で信長の政治を支えた、超エリート秘書官であり、親衛隊長だったのです。 本名は「森成利(もり なりとし)」と言いますが、この記事では広く親しまれている「蘭丸」の名で呼びます。

この記事では、美少年というヴェールに包まれた森蘭丸の本当の姿と、信長との深い絆、そして本能寺で散った短くも鮮烈な生涯について、分かりやすく、ドラマチックに徹底解説します。

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目次

森蘭丸とは?猛将・森可成の息子としての出自

森蘭丸は1565年、織田家の重臣・森可成(もり よしなり)の三男として生まれました。 そう、あの「攻めの三左」と呼ばれ、敵から恐れられた猛将の息子です。蘭丸の身上には、この「武人の血」が色濃く流れていました。

偉大な父と兄たち、そして一族の悲劇

父・可成は、信長が若い頃から支えた最強の武将の一人でしたが、蘭丸がまだ幼い頃(6歳)に、浅井・朝倉連合軍との「宇佐山城の戦い」で、信長を守るために壮絶な討ち死にを遂げてしまいます。 また、長兄の可隆(よしたか)も同じ年に戦死。家督を継いだ次兄は、「鬼武蔵(おにむさし)」と恐れられた猛将・**森長可(もり ながよし)**です。

蘭丸は、織田家のために命を捧げてきた「忠義の血筋」に生まれたサラブレッドでした。 父の死後、信長は残された森家の遺児たちを深く気にかけ、蘭丸とその弟たち(坊丸、力丸)を自分の小姓(こしょう)として召し抱えました。これは単なる同情ではなく、「森可成の子なら、必ず役に立つはずだ」という期待の表れでもありました。

織田信長の「小姓」とは?森蘭丸は雑用係ではなかった

「小姓」と聞くと、身の回りのお世話係や雑用係というイメージがあるかもしれません。 しかし、信長の小姓は、現代でいう「秘書」兼「ボディーガード」兼「広報官」のような、極めて重要なポストです。

驚異的な事務処理能力と気配り

蘭丸の主な仕事は、信長への「取次役(とりつぎやく)」でした。 家臣たちが信長に会いたい時や、報告書を渡したい時、まずは蘭丸を通さなければなりません。気難しい信長の機嫌を読み、どの情報をどのタイミングで伝えるかを判断する。これは、家中の情報をコントロールする権限を持っていたことを意味します。

実際に、蘭丸が発行した公的な文書(副状)も残っており、彼が行政官として機能していたことがわかります。

蘭丸の聡明さを示す、こんな有名な逸話があります。

ある日、信長が「隣の部屋の障子が開いているから閉めてこい」と命じました。 蘭丸が行ってみると、障子はピタリと閉まっていました。 しかし、蘭丸はあえて障子を一度開け、音を立ててピシャリと閉めてから戻ってきました。 信長が「開いていただろう?」と聞くと、蘭丸はこう答えました。

「いえ、閉まっておりました。しかし、私がそのまま『閉まっていました』と戻れば、『信長様が見間違えた』ことになり、殿の恥になります。ですので、あえて一度開けてから閉め直しました。これで殿の顔も立ちます」

この神がかった気配りと、瞬時の判断力。信長は「こやつはただの子供ではない」と彼を溺愛し、常に側に置いたと言われています。 (※諸説ありますが、彼の賢さと信長への絶対的な配慮を示す象徴的なエピソードです)

異例の出世!10代で城持ち大名へ

蘭丸の実力は、事務能力だけではありませんでした。 1582年、織田軍が武田家を滅ぼした「甲州征伐」の後、その功績(主に信長のサポートや恩賞の計算などの実務)により、蘭丸は美濃国(岐阜県)の兼山城(かねやまじょう)を与えられ、5万石の大名となりました。 この時、彼はまだ17歳か18歳。

普通なら、戦場で首を何個も取ってようやく手にするような地位を、10代の若者が手に入れたのです。これは異例中の異例のスピード出世です。 信長は、蘭丸を単なる側近として終わらせるつもりはなく、将来の織田家を背負って立つ「次世代のリーダー」として、英才教育を施していたのです。

本能寺の変:織田信長と共に燃え尽きた森蘭丸の最期

しかし、その栄光の時間はあまりにも短く、唐突に終わりを迎えました。 1582年6月2日、運命の**「本能寺の変」**が勃発します。

槍を振るって奮戦した「鬼の弟」

明智光秀の大軍1万3千に包囲された本能寺。信長の手勢はわずか数十人。 逃げ場のない絶望的な状況の中、蘭丸は少しも怯みませんでした。

彼は、同じく小姓として仕えていた弟の坊丸(ぼうまる)、力丸(りきまる)と共に、槍(十文字槍とも言われます)を振るって、怒涛のように押し寄せる明智兵に立ち向かいました。

その姿は、父・可成や兄・長可に負けない、鬼神のような強さだったと伝えられています。 「森家の男に撤退の文字はない!」 彼らは、主君・信長が自害するまでの時間を稼ぐため、自らの体を盾にして戦い続けました。

最期の任務「信長の遺体を守れ」

信長は、自ら弓や槍で戦った後、負傷して奥の部屋に入り、自害することを決めました。 その際、蘭丸に最後の、そして最も重要な命令を下したと言われています。 「わしの首を敵に渡すな。遺体は燃やしてしまえ」

もし信長の首が光秀の手に渡れば、光秀の謀反は正当化され、織田家の威信は地に落ちてしまいます。 蘭丸は、主君が腹を切る介錯(かいしゃく)を務めた後、畳や障子に火を放ち、猛火の中で信長の遺体が敵の手に渡らないように守り抜きました。 そして、煙に巻かれ、あるいは敵中に最後の突撃を行い、討ち死にしました。享年18歳(数え年)。

若すぎる死でしたが、その最期は「忠義の極み」として、武士の鑑(かがみ)と称えられ、後世まで語り継がれることになりました。

まとめ:森蘭丸は「知勇兼備」の若き天才だった

いかがでしたでしょうか。 森蘭丸の歴史と生涯をまとめます。

  • 忠義の血筋: 信長を支え続けた猛将・森可成の息子として生まれ、父譲りの武士の魂を持っていた。
  • 天才的な秘書官: 驚くべき気配りと頭脳で信長の政務を支え、10代で城持ち大名になるほどの実力者だった。
  • 本能寺の華: 最期の瞬間まで信長を守り抜き、兄弟と共に炎の中で散った、美しくも壮絶な生涯。

森蘭丸は、単なる「美少年」という枠には収まらない、知性と武勇を兼ね備えた天才でした。 もし彼が生きていれば、秀吉の天下取りを支える重要な武将になっていたか、あるいは兄・長可と共に秀吉に立ちはだかる強敵になっていたかもしれません。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、若き日の秀吉や秀長と、エリート少年・蘭丸がどのように関わり、刺激し合ったのか。 そして、燃え盛る本能寺で彼が見せた最後の輝きに、ぜひ注目してください。

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