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藤堂高虎はなぜ出世した?豊臣秀長が見抜いた才能と遺言

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大河ドラマ「豊臣兄弟」の主人公の一人、豊臣秀長。彼には、彼に才能を見出され、のちに江戸幕府の重鎮にまで上り詰めた、一人のスゴ腕武将がいました。 その男こそ、**藤堂高虎(とうどう たかとら)**です。

「藤堂高虎」と聞くと、 「主君(仕える相手)を7回も変えた、転職のプロ?」 「お城作りの天才(築城の名手)?」 「世渡り上手な裏切り者?」 といったイメージが強いかもしれません。

しかし、彼がなぜそれほど出世できたのか、その「原点」を知っていますか? この記事では、「藤堂高虎 豊臣秀長」と検索しているあなたの疑問に答えます!

高虎の才能を最初に見抜いたのが、何を隠そう豊臣秀長でした。そして高虎は、秀長の死後もなお、秀長の教えを守り続け、彼を「生涯で唯一の主君」と心から尊敬していました。 「主君を7回変えた男」が「唯一」と語る豊臣秀長とは。 二人の運命的な出会いの逸話から、高虎の人生観を変えた秀長の教え、そして秀長の死後、彼がなぜ徳川家康についたのか、その行動に隠された本当の「忠義」の真相を徹底解説します。

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目次

藤堂高虎と豊臣秀長の運命的な出会い

藤堂高虎は、若い頃は非常に苦労した人物です。

職を転々とした苦労人時代

近江国(いまの滋賀県)の武士の家に生まれますが、主君の浅井長政(あざい ながまさ)が織田信長に滅ぼされてからは、職を転々とする「浪人(ろうにん)」生活を送ります。 彼は身長が190cm近くあったとされる大男で、武術(槍働き)には絶対の自信がありましたが、なかなか「この人だ!」という主君に出会えませんでした。

浅井家の家臣だった阿閉氏(あつじし)、織田家の重臣・丹羽長秀(にわ ながひで)の家臣など、いくつかの場所で短期間仕えますが、長続きしません。 当時の武将の評価は「どれだけ戦で手柄を立てたか(武功)」が全て。高虎も戦場では活躍しますが、それ以外の才能(例えば、几帳面な事務能力や計算高さ)は、当時の「体育会系」の上司たちには理解されませんでした。 彼は「俺の本当の価値は、戦(いくさ)だけじゃない」という不満を抱えながら、自分を丸ごと評価してくれる主君を探し求めていたのです。

逸話:「三顧の礼」ならぬ「餅(もち)の恩」

そんな不遇の時代、高虎の有名な逸話にこんな話があります。 ある戦で手柄を立てた高虎は、当時の主君からわずかな恩賞(ボーナス)しかもらえず、その評価の低さに怒ってその場を立ち去ってしまいます。 無一文になった彼が、とある茶屋で空腹に苦しんでいると、茶屋の主人が彼のみすぼらしい姿(しかし、ただならぬ雰囲気)を見て、黙って餅を差し出してくれました。

高虎は感激し、「このご恩は一生忘れません。私が出世した暁には、必ずお礼に参ります」と言い残しました。 (のちに彼は伊予今治(愛媛県)の大名となり、その茶屋の主人を探し出して「三好」という苗字を与え、子孫代々までの面倒を見たと言われています)

この逸話が示す通り、彼は**「自分を正当に評価してくれた(=才能を見抜いてくれた)相手には、命を懸けて恩を返す」**という、非常に義理堅い(ぎりがたい)性格の持ち主でした。彼が求めていたのはお金や地位ではなく、「正当な評価」だったのです。

なぜ藤堂高虎は豊臣秀長に仕えたのか?

そんな高虎が、運命の主君・豊臣秀長に出会います。 当時、秀長は兄・秀吉の片腕として、すでに織田家中で頭角を現していました。

高虎は、秀長の「人を見る目(目利き)」に惚れ込みました。 多くの主君が、高虎の「武術の腕(戦闘力)」しか見なかったのに対し、秀長は、高虎が持つ**「数字の強さ(几帳面さ)」「建築技術(築城)」**といった、戦(いくさ)以外の「実務能力」を瞬時に見抜いたのです。

秀長自身が、派手な兄・秀吉の影で、地味な兵站(補給)や内政(政治)を一手に引き受ける「実務の天才」でした。 だからこそ、彼は「戦場で槍を振り回すだけの武将」ではなく、「自分と同じように、地味で面倒な実務を正確にこなせる有能な部下」を求めていました。 高虎の几帳面な仕事ぶりを見た秀長は、「こいつは使える!」と直感したのです。

「この方こそ、俺の才能を丸ごと理解してくれる主君だ!」 高虎は、自分のすべてを理解してくれた秀長に心酔し、生涯を捧げることを誓いました。

豊臣秀長のもとで開花した藤堂高虎の才能

秀長に仕えた高虎は、まさに水を得た魚でした。 秀吉が「表」の天才なら、秀長は「裏(実務)」の天才。高虎は、その「実務」のエースとして、秀長の右腕となります。

「武将」から「政治家・技術者」へ

秀長は、高虎に「戦場で手柄を立てろ」とはあまり言いませんでした。 もちろん、四国征伐や九州征伐では、秀長軍の「先鋒(せんぽう=最前線)」として武功も立てさせています。 しかし、秀長が本当に高虎に任せたかった仕事は、それだけではありませんでした。

・「太閤検地(たいこうけんち)」の実行(土地調査と年貢の計算) ・「寺社勢力」との交渉(抵抗する寺や神社との政治的な調整役) ・「城作り(築城)」の現場監督 といった、非常に高度な「実務(内政)」を任せます。

これらは、ただ戦が強いだけの「武将」には絶対にできない仕事です。 高虎は、主君・秀長の期待に応え、これらの仕事を完璧にこなしました。 特に「築城(ちくじょう)」の才能がここで一気に開花します。

高虎が手がけた和歌山城。秀長の居城・大和郡山城のノウハウが活かされています

秀長の居城「大和郡山城」の大改修や、紀伊(和歌山)の「和歌山城」の築城プロジェクトリーダーとして、高虎は「石垣を高く積む技術(穴太衆(あのうしゅう)という技術者集団の活用)」や「効率的な城の設計(デザイン)」を実践で学びます。

「武術バカ」だった若者は、秀長という「最高の師匠」のもとで、戦も政治も築城もこなせる「万能(オールラウンダー)武将」へと成長していったのです。 秀長は、高虎を「武将」から「大名(経営者)」へと育て上げたのです。

豊臣秀長の死と「主君7回」の真相

しかし、高虎にとって最大の悲劇が訪れます。 1591年、彼が心から尊敬した「生涯の主君」豊臣秀長が、病気で亡くなってしまうのです。

「最高の主君」を失った喪失感

秀長の死後、高虎は秀長の養子・秀保(ひでやす)に仕えますが、その秀保もわずか4年後に若くして亡くなってしまいます。 豊臣秀長家は、ここで事実上、断絶(だんぜつ)してしまいました。

「生涯を捧げる」と誓った主君を失った高虎は、再び「仕えるべき相手」を探すことになります。 これが、彼が「主君を7回変えた」と言われる真相です。 彼が変えたかったのではなく、彼が仕えたいと思った主君(浅井家や秀長家)が、次々と滅んでしまったのです。

なぜ徳川家康についたのか?

秀吉はまだ生きていましたが、高虎は秀吉の直臣(ちょくしん=直接の部下)にはならず、最終的に**徳川家康(とくがわ いえやす)**に仕えます。

「え、秀長に恩があるのに、秀吉の敵(ライバル)だった家康につくの? それって裏切りじゃない?」 と思うかもしれません。

しかし、これは「裏切り」ではありませんでした。 高虎のこの行動こそが、彼なりの**秀長への「忠義」**だったのです。 高虎は、秀長の死後、暴走を始めた秀吉(朝鮮出兵や秀次事件)を見て、こう考えたと言われています。

秀長様が望んでいたのは、豊臣家という『家』の存続ではなく、『天下の安定(平和な世の中)』だった」と。

秀長は、兄・秀吉が天下を統一し、平和な世の中が来ることを誰よりも望んでいました。 しかし、秀長の死後、秀吉が始めた「朝鮮出兵」は、国を疲弊させ、再び世を乱すものでした。さらに、後継者である甥・秀次を粛清する「秀次事件」で、豊臣家を内部から崩壊させ始めます。 高虎は、「今の秀吉公は、秀長様の望んだ姿ではない」と見切ったのです。

高虎は、秀長の死後、冷静に「次の天下を安定させられるのは誰か?」を見極めました。 そして、秀吉の死後、次の天下人として最も有力であり、秀長も一目置いていた徳川家康に、自分の「実務能力(特に築城術)」を投資することに決めたのです。 彼は「関ヶ原の戦い」で家康方として戦い、その後、江戸城や名古屋城など、徳川の天下を支える数々の城の設計(縄張り)を手がけます。

これは、秀長から学んだ「天下を安定させる」という大局観(たいきょくかん)に基づいた、彼なりの「忠義」の実践だったのです。

まとめ:藤堂高虎の「原点」は豊臣秀長にあり

いかがでしたでしょうか。 藤堂高虎の生涯を最後にまとめます。

藤堂高虎は、「主君を7回変えた男」として知られていますが、その本質は**「自分を本当に評価してくれた主君(=豊臣秀長)の教えを、生涯貫いた義理堅い男」**でした。

秀長は高虎の「実務能力」を見抜き、彼を一流の技術者・政治家として育て上げました。 高虎は、その秀長から「個人の家」よりも「天下の安定」を優先するという、高い視点を学びました。 だからこそ、秀長の死後、彼は「豊臣家」という小さな枠にとらわれず、「天下の安定」を実現できる新しい主君(家康)を選んだのです。 彼のこの「生き方」こそが、秀長が彼に教えた「最大の教え」だったのかもしれません。

(キャプション:高虎の最高傑作の一つ、今治城。彼の技術は江戸時代に引き継がれました)

大河ドラマ「豊臣兄弟」では、主人公・秀長が、この「転職だらけの荒くれ者(高虎)」の才能をどう見抜き、どう育てていくのか。 二人の「師弟関係」に注目すると、ドラマが何倍も面白くなること間違いなしです!

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