戦国時代には数多くの女性が登場しますが、その中でも「最も美しく、最も過酷な運命を背負った女性」といえば、間違いなく**「お市の方(おいちのかた)」**でしょう。
彼女は、あの織田信長の妹であり、豊臣秀吉が「高嶺の花」として生涯憧れ続けた女性でもありました。 しかし、彼女の人生は「二度の結婚」と「二度の落城(城が攻め落とされること)」という、あまりにもドラマチックで悲劇的な展開の連続でした。
「信長の妹って、やっぱり気が強かったの?」 「どうして天下人の秀吉じゃなく、あえて敗北濃厚な柴田勝家と再婚したの?」
この記事では、戦国の荒波に翻弄されながらも、織田家の誇りを胸に気高く生きたお市の方の生涯と、彼女が炎の中で娘たち(浅井三姉妹)に託した「命のバトン」について、高校生にも分かりやすく、深く掘り下げて徹底解説します。

「戦国一の美女」お市の方とは?
お市の方は、1547年頃、尾張国(愛知県)で生まれました。 信長とは13歳ほど離れた妹で、信長はこの年の離れた妹を「天下一の美人だ」と自慢し、非常に可愛がっていたと言われています。
彼女の美貌は諸国に知れ渡っていましたが、ただ美しいだけではありませんでした。 兄・信長に似て非常に聡明で、物事の本質を見抜く目を持った、芯の強い女性だったようです。 「もしお市が男に生まれていれば、信長様に匹敵する立派な武将になっていただろう」と周囲から評されるほど、彼女は「織田の血」を色濃く受け継いでいました。
最初の結婚:浅井長政との愛と裏切り
1567年頃、信長の命令(政略結婚)で、お市は北近江(滋賀県)の大名・浅井長政(あざい ながまさ)に嫁ぎました。これは、信長が京都へ上るためのルートを確保するための重要な同盟でした。
政略結婚が生んだ「真実の愛」
「信長の妹」として、監視役のような立場で送り込まれたお市ですが、夫となった長政は義理堅く、誠実な好青年でした。 二人は政略結婚とは思えないほど深く愛し合い、仲睦まじい夫婦となりました。 この時期に、茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、江(ごう)という3人の娘(のちの浅井三姉妹)と、万福丸などの息子に恵まれました。 戦国の世にあって、お市にとって奇跡のように穏やかで、最も幸せな時期だったと言えるでしょう。

小豆袋(あずきぶくろ)の逸話と小谷城の落城
しかし、幸せは長く続きませんでした。 1570年、長政は父の代からの同盟者である朝倉氏を救うため、義兄である信長を裏切り、背後から襲いかかろうとします(金ヶ崎の退き口)。
この時、お市が陣中の信長に**「両端を縛った小豆の袋」**を送り付け、「袋の鼠(ねずみ)=前後から挟み撃ちにされますよ」という危機を暗に知らせたという有名な逸話があります。 (※後世の創作説が強いですが、彼女が「実家の兄」と「愛する夫」の間で板挟みになり、身を引き裂かれるような思いをしたことは事実でしょう)
その後、姉川の戦いを経て、1573年に長政の居城・小谷城は信長軍に完全に包囲されます。 長政は「お前と娘たちは生き延びろ。織田家へ戻れ」とお市を説得し、城から逃がした後、自害しました。 この時、お市の連れていた幼い息子(万福丸)は、信長の命を受けた秀吉によって捕らえられ、処刑されてしまいます。 お市は、愛する夫と長男を同時に奪われ、絶望の中で3人の娘を連れて織田家に戻ることになりました。

寡婦(かふ)時代と秀吉の影
織田家に戻ったお市と娘たちは、信長の保護のもとで、清洲城などで約9年間を過ごします。 この時、お市の美貌と織田家の血筋を狙って、多くの武将が再婚を望みましたが、彼女はそれらを頑なに拒み続けました。
特に、夫・長政を滅ぼし、息子を処刑した実行犯である**豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)**は、お市に強い憧れと執着を持っていたと言われています。 しかし、お市にとって秀吉は「夫と子の仇(かたき)」であり、生理的にも受け付けない相手でした。 「あの猿にだけは、絶対に靡(なび)かない」 彼女の誇りとプライドが、権力を増していく秀吉を拒絶し続けました。この「拒絶」が、のちの悲劇へと繋がっていくのです。
二度目の結婚:柴田勝家と「反・秀吉」
1582年、本能寺の変で兄・信長が亡くなると、お市の運命が再び激流に飲み込まれます。 織田家の後継者争いを話し合う「清洲会議」の結果、お市は織田家筆頭家老・**柴田勝家(しばた かついえ)**と再婚することになりました。
なぜ柴田勝家を選んだのか?
勝家は、お市よりも20歳以上年上の「髭面のおじさん(猛将)」です。恋愛感情で結ばれたわけではありません。 これは、会議を主導し、織田家を乗っ取ろうとする秀吉への、お市なりの精一杯の「抵抗」でした。
「サル(秀吉)の思い通りにはさせない。織田家を守れるのは、古参の勝家殿だけだ」 お市は、秀吉と対立する勝家をパートナーに選び、織田家の威信を守るための戦いに身を投じたのです。それは、彼女にとっての「弔い合戦」でもありました。
北ノ庄城の落城と壮絶な最期
1583年、秀吉と勝家は**「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」**で激突します。 結果は秀吉の圧勝。勝家は再起不能なダメージを受け、本拠地の北ノ庄城(福井県)へ逃げ帰りますが、すぐに秀吉の大軍に完全に包囲されました。
娘たちを逃がし、炎の中へ
死を覚悟した勝家は、お市に「君だけは城を出て逃げなさい。君には生きる価値がある」と勧めました。 しかし、お市は静かに首を横に振ります。 「浅井家で一度、夫を残して逃げるという恥をかきました。二度も同じ恥はさらせません。今度こそ、あなたと共に死にます」
彼女は、3人の娘(茶々・初・江)だけを城から逃がす決断をします。そして、娘たちに秀吉への手紙を持たせました。 「この子たちを頼みます。私の血を絶やさぬように」 母として娘たちの命乞いをすることは、彼女ができる精一杯の、そして最後の「母の務め」でした。
そして、勝家と共に辞世の句を詠み、燃え盛る天守閣の中で自害しました。享年37歳。 まさに戦国一の美女にふさわしい、あまりにも誇り高く、壮絶な最期でした。

まとめ:お市の血は「天下」を巡り続けた
いかがでしたでしょうか。 お市の方の生涯をまとめます。
- 浅井長政との愛と悲劇: 政略結婚だったが深く愛し合い、幸せな家庭を築くも、兄・信長との戦争で夫と息子を失った。
- 柴田勝家との誇り: 秀吉の横暴に対抗するため再婚し、二度目の落城では逃げずに夫と共に死を選んだ。
- 娘たちへの願い: 自分の命と引き換えに、娘たち(浅井三姉妹)を生き延びさせ、織田の血を残した。
お市は亡くなりましたが、彼女が炎の中から助け出した3人の娘たちは、その後の日本の歴史を大きく動かします。 長女・**茶々(淀殿)**は、なんと母の仇である秀吉の側室となり、豊臣家の後継者・秀頼を産みました。 三女・**江(ごう)**は、徳川二代将軍・秀忠の正室となり、三代将軍・家光を産みました。
現在の皇室にも、お市の方の血は脈々と受け継がれています。 戦国の世に散った彼女の「誇り」と「血」は、形を変えて天下を巡り、現代まで生き続けているのです。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、憧れの女性・お市と、彼女を手に入れられなかった秀吉、そしてその全てを側で見守っていた秀長の複雑な人間模様が、切なくも美しく描かれることでしょう。
